ハルのお勧めあれこれ
※このページは、タイムリーでもインドネシア関連でも、なんでもなく、ただただハルが気にいったもの(動画、写真、歌など)を勝手に紹介する非常に我がままなコーナーです。


植村少尉の手紙
終戦記念日が近づきました。この時期になると戦争関連の話題が増えますね。特攻隊で戦死された方の手紙(遺書)を読んで不覚にも泣いてしまいました。いえ、不覚ではなく、子供を持つ親なら、普通泣いてしまいますね。

植村眞久海軍大尉の手紙
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素子へ

素子は私の顔をよく見て笑いましたよ。私の腕の中で眠りもしたし、またお風呂に入ったこともありました。

素子が大きくなって私のことが知りたい時は、お前のお母さん、佳代叔母様に私のことをよくお聞きなさい。

私の写真帳もお前のために家に残してあります。

素子という名前は私がつけたのです。素直な、心の優しい、思いやりの深い人になるようにと思って、お父様が考えたのです。

私はお前が大きくなって、立派なお嫁さんになって、幸せになったのを見届けたいのですが、もしお前が私を見知らぬまま死んでしまっても、けっして悲しんではなりません。

お前が大きくなって、父に会いたいときは九段にいらっしゃい。

そして心に深く念ずれば、必ずお父様のお顔が、お前の心の中に浮かびますよ。

父はお前が幸福者と思います。生まれながらにして父に生き写しだし、他の人々も素子ちゃんをみると真久さんにあっている様な気がするとよく申されていた。

またお前の伯父様、叔母様は、お前を唯一の希望にしてお前を可愛がって下さるし、お母さんもまた、御自分の全生涯をかけて、ただただ素子の幸福をのみ念じて生き抜いて下さるのです。

必ず私に万一のことがあっても親無し児などと思ってはなりません。父は常に素子の身辺を護っております。優しくて人に可愛がられる人になって下さい。

お前が大きくなって私のことを考え始めたときに、この便りを読んで貰いなさい。

昭和十九年○月某日 父
植村素子へ

追伸
素子が生まれた時おもちゃにしていた人形は、お父さんが頂いて自分の飛行機にお守りにして居ります。だから素子はお父さんと一緒にいたわけです。素子が知らずにいると困りますから教えて上げます。

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植村眞久海軍少尉は、昭和19年10月26日、第一神風特別攻撃隊大和隊隊員として零戦に搭乗、スリガオ海峡周辺洋上で戦死。享年25歳でした。


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