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「エンガン」
西 祥郎

第六回
エンガン王子が花嫁を伴って故郷に帰ってくるという知らせは、ミナンでふたりの華燭の宴たけなわのころ、王子の領国に伝わりました。領主ご夫妻が戻ってくるのを、領民たちは心待ちにしていたのです。そして領内を通る行列の中でひときわ輝いている美しいロンカン王女が領民たちに気さくな笑顔を向けるのを、ひとびとは驚きとともにたいへんな喜びで迎えました。ロンカン王女の人気は瞬く間に領内に満ち溢れます。

領主の館に戻ったエンガン王子は、ふたたび結婚披露の祝宴を張りました。客人たちは新婦の美しさに目を見張り、見栄えの良いこのカップルに祝福を贈ります。王女がミナンの宮殿で享受していた暮らしにひけを取ってはならない。そう考えた王子は、王女に可能な限り安逸で贅沢な暮らしを与えることに努めました。遠来の国から集めた美麗な衣裳。金糸銀糸で織られた高価な布。アラビア渡来の香水。ジャワやバリから取り寄せた装飾品。すべての部屋には豪華なタペストリー。

エンガンはロンカンを心から愛していましたが、生来の嫉妬深さは変わりません。美しく、優しく、そして気さくにだれとでも打ち解けるロンカンが館の中で人気者になっていくのを、エンガンが素直に喜んだでしょうか?王子は妻に、支配者たるものは威厳が必要であり、もっと気位高く尊大に振舞うことも必要だ、と教えますが、ロンカンの考え方は違っていました。優しく誠実に他人に接するロンカンの人気はいやが上にも高まります。陽気なエンガンも領民からの人気は決して小さいものではありませんでしたが、心の片隅に怖れを秘めた敬愛とでは、比べようもなかったにちがいありません。領内で常に自分が第一人者であろうと努める王子のこの世で一番愛する妻が自分の脅威になっているということにかれが気付くのに、長い月日は必要ありませんでした。エンガンの感受性も人並み以上のものがあったのです。

ロンカンの身の回りの世話をし、心を慰める役割を果たしてきた、ロンカンの子供のころからの侍女たちも、新しい暮らしに慣れ始めると館に仕える者たちと親しくなります。王女の幼いころの逸話があちこちで語られ、夫が知らなかった妻の話しをエンガンが他の場所で耳にするということがたび重なり、エンガンの感情はついに破裂して、妻に付き従ってパガルユンからやってきた者たちを、一人残らず国許に帰してしまいました。妻はもうこの地に慣れた。この地の后として、今後はこの土地の者同様に暮らさなければならない。いつまでもミナンカバウのことを思い出していては、真にこの土地の者になったと言えないではないか。

エンガンの説明はどうあれ、その行動にロンカンの心は大きく傷つきました。子供のころから付き従い、慣れ親しんできた侍女たちは、心を許しあえるまるで家族同然の者たちだったのです。心のひだを打ち明け、互いに理解し会える人間、さまざまな思い出を共有し、故郷のことをおしゃべりし、自分が伝えたい思いを的外れなく受け止めてくれる人間。長い時の流れの中で築き上げられてきた人間関係を、そう簡単に別の人間がとって代わることはできません。子供であったなら、そんな深い絆を持つ人間関係を将来に向かって作り上げていくことができたのでしょうが、支配者の后という立場では、裸の心でロンカンに接しようとする人間を期待するのも困難だったにちがいありません。

膨れ上がったのは妬心だけでなく、猜疑心も同時に王子の心を掻き乱しました。人気絶頂の領主の后が夫の知らないところで家臣たちと気さくに接するのは、謀反人に乗じる隙を与えかねない。后が家臣と密通して支配者を亡き者にするという事件は、古今東西数え切れないほどの実例がある。エンガンは后が廷臣たちと交わることができないようにするため、ロンカンに近付くことを家臣たちに禁じ、そしてその禁令が正しく実行されれように腹心の部下に見張らせたのです。突然孤独の中に突き落とされ、大きい抑鬱の中に閉じ込められた王女は、村娘の自由を渇望し、わが身の不幸を呪いました。囚われの身に富や栄華が何ほどのものと言えるでしょうか?[ 続く ]

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この作品は西さんの提供です


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