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「クラカタウ」
西 祥郎

「クラカタウ第11回」

1926年11月12日深夜、メネスで大勢のひとびとが武器を手にして郡役所を襲い、郡長と家族そして警官を殺害した。13日朝5時半にはチャリギンでも百人を超える群衆が役場を襲い、警官数名を殺害した。チャリギン村長はたまたま不在で命拾いした。

チュニンでも村役場が襲撃されて村長と警官が重傷を負い、警察分署も襲われて巡査部長と巡査が殺害された。ラブアンで郡役所を襲った群衆はその後で鉄道駅を占拠し、町の占領を進めた。パンデグランでは州行政官宅と巡査部長宅に襲撃隊が回ったが、警備に当たっていた警官隊との間で銃撃戦となり、警官隊に押し返されて襲撃隊は遁走した。プティルやパグラランでも蜂起が起こり、各所で電話線が切断され、鉄橋が破壊され、道路にバリケードが置かれた。バンテン中西部地区を中心に発生したこの叛乱は波紋のように周辺地域へと拡大して行った。

一方、11月12日23時半、バタビアでは既に蜂起が始まっていた。今のガジャマダ通り南端にあるハルモニー交差点では警官隊と叛乱者の衝突が起こり、タナアバン鉄道駅でも小競り合いが発生した。60人ほどの蜂起者がグロドッ監獄を襲撃したがオランダ兵の反撃を受けて潰走し、プジャガラン警察署の襲撃も失敗に終わった。中央電信電話局の占拠には成功したが、13日朝から反撃を開始したオランダ軍によってそこはまたたく間に奪還されてしまった。今はジャティヌガラという名称になっているメステルコルネリス、カンプンムラユ、クバヨラン(今のクバヨランラマ)、更にはタングランやチュンカレンでも小人数の叛乱行動が行われた。しかしそれらの蜂起に追従して立ち上がる民衆はおらず、軍と警察の鎮圧行動が綿密迅速に行われた結果、15日朝の時点でバタビアにおける蜂起は完全に制圧された。

バンテンで広がった叛乱に軍や警察の治安部隊がおとなしくしていたわけではない。メネスの蜂起を鎮圧したオランダ軍部隊は15日ラブアンに進出し、市街戦を繰り広げて市内の治安を回復し、叛乱者を町の外へと追い出した。叛乱者はその後もラブアン奪回を試みたが、町中へ侵入する機会を得ないまま、バタビアを鎮圧してから押し寄せてきたオランダ軍の大部隊に押しまくられて農村部へと敗走した。オランダ軍はその後緻密この上もない厳しい掃討作戦を展開し、12月半ばには叛乱者が続々と逮捕されてバンテンの蜂起も鎮圧された。[ 続く ]

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この作品は西さんの提供です


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