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「クラカタウ」
西 祥郎

「クラカタウ第16回」

翌朝、ラデン・ムリアがハリとふたりでチタンジュル川の水源近くまでやってきたとき、病人たちの仮小屋は閑散としておりコーヒーワルンにいくつかのグループが集まっているだけだった。その日は日曜日だったために行者ヌサ・ブラマの治療活動は行われていなかった。閑散としているのはそのせいで、治療日である金曜日にはその一帯がひとで埋まるが、ほとんどの病人は治療が終わると自宅に戻る。重病人や自宅があまりにも遠い者だけがそこに居残って翌週の治療を待つのだ。
     
ラデン・ムリアが用人も連れずに単身でそこを訪れたのは、自分の身分が公になれば諜報活動が困難になるであろうことを警戒したためであり、役人が聞いていることを知りながら言いたいことを自由に話す人間などまずいないことをかれはこれまでの経験から熟知していた。ワルンの持ち主のミクンはラデン・ムリアを見知っていたが、ラデン・ムリアは知らないふりをするようミクンに表情で告げた。わざと歪められた話を聞いても正しい情報は集まらない。ミクンに自分の身分を明かされてはそこに集まっているひとびとから何の情報も得られなくなる。仮小屋にはほんの僅かしかひとはおらず、その中にはパレンバン者数人が目を患っている仲間に付き添っているグループがあった。目を白布で巻いている身なりのよい男が病人で、その名をアブドゥル・シンティルという。かれはパレンバンの金持ちで、蛇商人であり同時に広いゴム園を持っていた。そのアブドゥル・シンティルが目を患いほとんど失明に近い状態にまで陥ったのは蛇の毒にやられたせいだ。かれはバンドンの眼科病院を訪れたが効果なく、ラブアンにいる知り合いがチワリラン山の行者に診てもらうようかれを招いたのでそこに来ていた。そうして先週行者の治療を受け、祈祷をこめた水を朝晩目に挿すことで今では薄ぼんやりとながら視力を取り戻しつつあった。
     
行者がチワリラン山へきてもう二週間がたつ。一月になればまたいずことも知れない地へと去っていくのだ。その行者が病人に施す治療はたいへん効験あらたかで、薬草を使いあるいは祈祷を込めた水を使ってたいていの難病を治していた。失明者は光を取り戻し、おしやつんぼも足萎えも元通りに回復したが、生まれついての失明やおしつんぼなどを健常者にすることはできなかった。かれが治すことのできた病は、人生の中で罹病した患いだけだったのだ。行者は治療代を受け取ろうとせず、米や野菜などを日々の糧にするために少量だけもらい、あとはすべて患者に返していた。行者は鶏も卵も食べようとせず、生命あるものから生命を奪ってそれを食することを自分に禁じており、ミクンにも生命を奪うことの罪を何度か言い聞かせている。
     
行者は金曜日以外、村人や患者の前に姿をあらわすことは一切せず、かといって山を下りる姿を見た者もおらず、山頂にこもって何をしているのかを知っている者はひとりもいなかった。ミクンはときどき山頂まで頼まれた食べ物を届けに登っていくが、いつ行ってもたいてい行者は姿を見せず、妻と娘そして手伝い人がいるばかりだった。しかし行者は朝夕、仮小屋の近くを通って小さい滝まで下りてきて水浴し、水を汲んではまた山頂に戻っていった。行者の年齢はおよそ60歳、妻は10歳ほど年下で、20歳を超えていると思われるこの夫婦の娘、レッナサリはバンテンにも数少ない美形であり、かの女を目にしたすべての男はその美しさに心を酔わせ、胸ときめかせる憧れに溺れた。ラデン・ムリアはそんな情報をそこで得た。
[ 続く ]

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この作品は西さんの提供です


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